カテゴリー「書籍・雑誌」の806件の記事

2014年3月11日 (火)

シルトの岸辺 ジュリアン・グラック作

ジュリアン・グラック(1910年7月27日 - 2007年12月22日)はフランスの
作家である。

フランスで権威のある文学賞、ゴンクール賞に選ばれながら受賞を拒否した
という経歴の持ち主でもあるそうである。

岩波文庫より、彼の「シルトの岸辺」(安藤元雄訳)が出ていて、手にした。

架空の国のある港の沿岸警備をまかされた中流貴族の息子の物語
といえばいいのだろうか、詳しく詳細を示す筆力がないのだけど
SF映画あるいは、日本の数多くのアニメの原作のような
空想的でかつロマンティックな印象を抱かせる作品で、引き込まれるように
読んでしまった。

文学的な詩人の性質をもった青年と、ちょっとい破天荒な上流貴族の娘。
また、国家を陰であやつる長老とたたき上げの青年の上司。
なんだか、アニメにもありそうな人間模様を想像できませんか?

また、常にすべてを理解させてくれないような、不思議な感覚があり、
日本のアニメの世界のような印象をさらに深くしたのだと思う。

グラック論のようなものは、大学の紀要などを検索すると少量だけど
でてくるので、それらを読んでみると面白い。

2013年12月 8日 (日)

中村哲著 天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

アフガニスタンでの灌漑用水路の建設などを達成された
PMS(平和医療・日本)の 中村哲さんの著書を読みました。

中村哲著 天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

最後に書かれた氏のメッセージを記します

================================================================

今、周囲を見渡せば、手軽に不安を忘れさせる享楽の手段や、
大小の「権威ある声」に事欠かない。私たちは過去、易々とその
餌食になってきたのである。このことは洋の東西変わらない。
一見勇ましい「戦争も辞さず」という論調や、国際社会の暴力化も
その一つである。経済的利権を求めて和を損ない、「非民主的で
遅れた国家」や寸土の領有に目を吊り上げ、不況を回復すれば
幸せが訪れると信ずるのは愚かである。人の幸せは別の次元に
ある。

人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。少なくとも
私は「カネさえあれば何でもできて幸せになる」という迷信、
「武力さえあれば身が守られる」という盲信から自由である。
何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できる
ものなのか、目を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を
回復することである。

(中略)

今大人たちが唱える「改革」や「進歩」の実態は、宙に縄をかけて
それをよじ登ろうとする魔術師に似ている。だまされてはいけない。
「王様は裸だ」と叫んだ者は、見栄や先入観、利害関係から自由な
子どもであった。それを次世代に期待する。

「天、共に在り」
本書を貫くこの縦糸は、我々を根底から支える不動の事実である。
やがて、自然から遊離するバベルの塔は倒れる。人も自然の一部
である。それは人間内部にもあって生命の営みを律する厳然たる
摂理であり、恵みである。科学や経済、医学や農業、あらゆる人の
営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる
道はないであろう。それがまっとうな文明だと信じている。その声は
今小さくとも、やがて現在が裁かれ、大きな潮流とならざるを得ない
だろう。

================================================================

本書を読んで、中村哲氏が作家・火野葦平の甥であることを知りました。
そのことと、氏が紛争地域に身を投じたことの因果はわかりません。
ペルシャワールの活動への参加経緯も詳しく書かれていて
偶然に導かれるということがあることを知りました。

また、危機が訪れるたびに、判断された行動に筋が通っていて
すごいと思いました。

氏の活動を支えていらっしゃる多くの皆さんにも敬意を持ちました。

まだまだ、私たちにできることは たくさんあります。

2013年11月 6日 (水)

藤森照信×山口晃 日本建築集中講義

読み終えて とても面白かった1冊。
書かれている内容を 知識として大切に覚えよう・・・とするには
無理があるけど

藤森照信さんと、山口晃さんのお話しされている様子が目に浮かんできて
楽しさを一緒に共有できます

そしてさらに、出版社が 淡交社 でびっくりしました。


藤森照信×山口晃 日本建築集中講義

2013年10月28日 (月)

日本の神様

古事記、日本書紀などに登場する日本の神々の話を
時系列で紹介してくれる 日本の神様 面白かったです。

神社の写真などもあり、時々、ここに行ったことがある!
とか、自分の性格に似た神様がいたりして
神様の名前を読むのは難しいのですが 楽しい一冊でした

それにしても、こうした想像力と構想力、政治的な色彩も
ないわけではないのでしょうが、どんなふうに神話が
つくられていったのだろうかと思わずにはいられませんでした。

例えば、大和朝廷への統一の中で、その地域や部族が
信仰する神様をこのように処遇してくれといった交渉が
あったのだろうかなどと考えると楽しかったです。

もちろん、それらの神様のご利益にすがりたいのも人情
お参りの際には 願い事について神様とお話をしてみたい
そのようにも思いました

2013年7月21日 (日)

愛国心とはなんでしょうか、どんなものでしょうか。

こんな時期だからではないが、タイトルに興味を持ち
次の本を手にした

「愛国」のゆくえ ~「戦後」の無意識とトラウマ~
保阪正康、ほか

この中で、保阪正康氏の指摘がとても印象に残った。

------------------------------------------------
ナショナリズムとは(中略)もっと素朴に、自分たちが育った
共同体にたいする誇り、あるいは地域に伝わる伝承への
愛着などを、広義の意味でナショナリズムとみるべき

------------------------------------------------

また、「またも負けたか八聯隊(はちれんたい)」という言葉で
示される、ノモンハンへの出動命令を北海道の連隊はすばやく
行動し命を落としたのとくらべ、同じ命令を受けた大阪の連隊
では、それから兵士が医務室にならび、要員の選別が終わった
ころには停戦になっていたという話が紹介されており、

この例えから、大阪の人たちは個人主義者と言えます。
自分と国家を対峙させる。(中略)おそらく、これが大阪という
百年、千年の単位で経済的、合理的思考法を培ってきた
地域をかたちづくる伝承や暗黙の約束ごとであり、おおげさに
言えば大阪ナショナリズムの規範なのだと思います。
北海道はそれだけの蓄積を持てなかった。あまりにも早く
国策に動員されてしまい、自律的な発展を遂げそこなった。

と書いてしらしゃいます。

------------------------------------------------

保阪氏の指摘を読みながら、つい日本であれば日本全国を
意識してしまうナショナリズムも、その地域によって感覚は
異なるし、また一人ひとり異なるはずだと思いました。
けれどもなかなかそれは意識されないし、愛国心が全体主義的な
もので意識され、なにか犠牲を伴う場面になってみると実は
その人が属する小さな共同体の風土や気風に大きく影響を
受けてしまう。

ならば、最初からその小さな共同体を意識した郷土愛や
愛国心をそれぞれが持てばいいのではないかと考えました。

けれども一方で、都市化された現代で、そうした郷土を
人が持つことのほうが難しいのかもしれません。
そのような中で描く、愛すべき対象は何か、これは現代人に
与えられた課題ともいえます。

そうした問いかけをもつ私にとっての愛国心とはなにか。
今語られている大きなテーマよりも、実は切実なテーマなのでは
ないか、そのように考えました。

2013年6月16日 (日)

秩父の女流俳人、馬場移公子 のこと

中嶋鬼谷編著

『峡に忍ぶ 秩父の女流俳人、馬場移公子』を読んだ。

私の郷里の近くに秩父があるので、親しや懐かしさがあって、
秩父を題材にしたものがあれば 読むようにしている。

先日も土屋文明が万葉集の研究で郷里の近くを歩いている
足跡を追った本があったので読んだように

さて、馬場移公子(ばばいくこ)のことを 私は初めて知った
秩父で俳人というと、金子鬼太を思い浮かべるが、そのお父様が
医者であり俳人だった。その 金子伊昔紅(かねこいせきこう)との
出会いから、この女流俳人が世に出るところとなった。

■馬場移公子関連サイト(日本経済新聞)
 
 
http://www.nikkei.com/article/DGXBZO16293970T11C10A0000000/

戦争未亡人で婚家から実家にもどり、体もあまり強くはなかった
らしいけれども、秩父の中に生き、俳句を通じて出会う人々の交流が
何か生きる支えになっていたのではないか

その実力は、水原秋桜子にも認められ 「馬酔木」の同人にも
なっている。

この本をつうじて、人生の中に俳句があるとはこういうものか
という、普段は知らないことが少しわかったように思います。

2013年6月 9日 (日)

原田正純さんのこと 水俣病と闘った医師

なかなかないのだけど 通っている大学院の一年生の方と
お話をする機会があった

その方の熱意、課題意識、志、そうしたものをうかがっていると
去年の今頃には自分にもあったのにと少し反省しながら

想いを持続させること、そのために努力を重ねることの
大切さを思った

人は時に、その想いのためにかたくなでなくてはならないし、
一方でその志を実現していくために外交的である必要もある

それが 器用であろうが、不器用であろうがにかかわらず
丹力のないところに モノを生み出したり、発展させる力は
ないのではないか

今 一冊の本を手にしているのだけれど
その表紙にあるこの本の主人公の写真をみていると
その人からも同じことを語りかけてくれているように感じる。

その本の名前は、

『原田正純の道~水俣病と戦い続けた医師の生涯』
毎日新聞社刊


原田正純さんのことをご存知の方は多いと思う
水俣病患者の救済に生涯をささげた医師だ

直接お話をうかがったことはなくて、もっと早くに
彼を知ったら何かお目にかかる方策はあったかも
しれないが、映像で知った彼の語り方はよく
覚えている

この本に、原田さんが著書『この道は』で記した文章が
紹介されている

「この世に二種類の人間がいる。富める者と貧しき者、
加害者と被害者、健康者と病者、都市と農村、先進国と
途上国、多数民族と少数民族などこの世には対立の
構図がある。その差別をどうなくすかが人類永遠の
テーマである。そして、自らをどっちの側に置くかという
ことが“この道”を決める。どの道を進むか選択の
自由はあるが、私は命ある限り今まで歩いてきた
“この道”を行こうと思う。多くの人々に支えられながら」

この一文をかみしめて がんばっていきたい。

2013年5月 6日 (月)

宮沢賢治に近づく一冊  『賢治から、あなたへ』

大学の図書館においてあった一冊

ロジャー・パルバース著
『賢治から、あなたへ 世界のすべてはつながっている』
集英社インターナショナル刊

この本を目にして、宮沢賢治が好きなので 何気なく手にしたのですが
とてもとても良い本でした。

ロジャー・パルバース氏は、作家・劇作家・演出家で 東京工業大学
文明センター長を務められています。

初めて知ったのですが、賢治に関する著作もある方でした。

いくつかの作品の紹介とその作品が収められているのですが、
例えば宗教学者の賢治本と違って何か一つの色に染められている
のではなくて、その作品にまつわる知識が豊富であり、かつ世界中
の教養の中から賢治の位置づけを評価しているので、私にとっては
新しい賢治感のようなものを感じて、より宮沢賢治にも近づくことが
できたのではないか、そのように感じさせてくれました。

そして、つまるところ、それこそが仏教の世界観でもあったし、
ひとつの経典に書き記されていることと実は同じなのではないか
そのようにも思いました。

例えば、私にとって 雨ニモマケズ は 般若心経 と同じように
位置づけて、普段考えたりしているのですが、こうしたふうに
感じることの自由さを認めてくれる一冊のように感じました。

また、一方で、賢治の気持ちになっていみると、もしや死後に
いろいろな研究者の研究の対象となりえることを想像しては
いなかったといつも思います。

けれどそれが許されるのは、彼の考えや思想が、だいぶたっても
世の中に必要とされていて、その水先案内人としての研究者の
存在が許されてもいるということではないかとも想像します。

では、なぜ 賢治の思想が必要とされているのでしょうか?
それを私は、誰にでも 賢治が求めたような生き方を求める
気持ちがあるからだと考えます。

逆説的なのですが、彼が求めるような生き方を、信仰の生活を
超越して、実生活の中で実践できた数少ない事例だったからでは
ないでしょうか。

本書を持つと、その実践にどれだけの能力が必要だったかも
わかります。では、能力がない自分ならどうしたらいいか、そうした
様々な問いかけを 後にいきる私たちは ガイドブックや研究書など
から ひもとくのかもしれません。

もちろん、本当の幸いが何であるか、そのことも、わかるようで
わからないものです。それでもなお、多くの人が賢治に興味を
持つのは、何か人間の可能性を見失いたくないという 共通の願い
のようなものが起因するように 私は考えます。

久しぶりに 宮沢賢治の世界に浸ることができて
本当によかったです。

2013年4月21日 (日)

新宿で85年、本を売るということ 永江朗著

永江朗さんの 『新宿で85年、本を売るということ』
とても 面白く読みました

紀伊國屋書店の創業者 田辺茂一氏を中心に 紀伊國屋書店の
歴史がつづられています。

書店という産業も 実はこの数十年のものであった ということを
強く思いました。もちろん、江戸時代の蔦谷重三郎ではないですが
出版プロデューサーのようなものはあったし、丸善のような
老舗もあるわけですが

近代書店が 大学の設置数の増加や 各地の図書館の整備の中で
興隆がおきたこと 消費者からみた書店もあれば 外商としての書店
があり、文化のありかたそのものを教えてくれる構造かと感じます

時代を生きる書店の姿
これからのデジタル時代にどのように進化していくのか
その精神的自由さが鍵であり、創業者の田辺氏の生涯が
またそれを示してくれているように思います

2013年4月 6日 (土)

世界で最も美しい書店 の本

世界で最もおいしい朝食 といったふれこみには
めっぽう弱い私たちも

それが書店となると なかなか難しいのではないか
私たち自身がどのような書店を求めているのか、はたまた
どのように本と付き合おうとしているのか

またはそれらを大きく包含する文化というキーワードに
対して どのような見識を持っているのか

たくさんの本を読む人だとしても このことを
ポリシーとして明言することができる人は
少ないのではないだろうか

それは学歴とか 職業とか関係なく
たとえれば 通勤電車の中で なぜこの本を読むのか
といったことを説明できることに似ているだろうし

誰か気の合う友と グラスを傾けながら
実は俺はこの作家が この本が好きだと
語り明かすような 密かな楽しみとも連続しているだろう

エクスナレッジ刊 『世界で最も美しい書店』の冒頭に
添えられた言葉

「ワンクリックで本が買えても、そこには物語は生まれません。
書店へと向かう道すがらの風景、書店を満たす空気、
働く人々の気配りや出逢った人々との語らいには、
ささやかながらも物語にあふれています。わたしたちは
便利で効率的な暮らしを貪欲に求めていても、
決してそれだけでは満たされることはないのです。
だからこそ、わたしたちは書店へと向かうのかもしれません。」

なるほど と 思う。素直に書店に足を運ぶ人のことが語られているし
書店のあり方も教えてくれているように思う。
あとは 私たちがどんな書店を選ぶのか 作るのか 残していくのか

私たち自身への問いかけもあるのだろう

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2014年8月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ
フォト

いつか読む本