カテゴリー「民俗学・社会学」の15件の記事

2013年10月28日 (月)

日本の神様

古事記、日本書紀などに登場する日本の神々の話を
時系列で紹介してくれる 日本の神様 面白かったです。

神社の写真などもあり、時々、ここに行ったことがある!
とか、自分の性格に似た神様がいたりして
神様の名前を読むのは難しいのですが 楽しい一冊でした

それにしても、こうした想像力と構想力、政治的な色彩も
ないわけではないのでしょうが、どんなふうに神話が
つくられていったのだろうかと思わずにはいられませんでした。

例えば、大和朝廷への統一の中で、その地域や部族が
信仰する神様をこのように処遇してくれといった交渉が
あったのだろうかなどと考えると楽しかったです。

もちろん、それらの神様のご利益にすがりたいのも人情
お参りの際には 願い事について神様とお話をしてみたい
そのようにも思いました

2013年1月 4日 (金)

お正月雑感。

このお正月、自慢できるようなことは何もしていなくて
ややもすると家族と一緒にいる時間に流されしまったような
後悔も感じるのですが

だらしない父親をみせておいてもいいのではないか
そんなことを言い訳のようにおもいながらもいました

だいたい実家に戻れば戻ればで 何もすることは
なくなってしまって
孫にとってはいいかもしれないけれど
息子にとっては窮屈なような
そんな いつもとは違う家族のカタチもあり

これも、けして微妙な関係というものではなくて
親になったり、家庭を築いてみると両親の苦労もわかるし
とてもすごいことだと感嘆してみるものの
それ以上になすすべもなく

子供たちが バタバタと田舎の家じゅうをおいかけっこして
走りまわったり、畑に出て秘密基地を作るといったことを
否定せずに たっぷり遊んでいることに あまり文句を
言わずに これもぼーっとみている

そうした数日を過ごした というのが正直なところで
ちょっと焦りを感じるところもあったのですが
そんなふうに過ごしていました

そんな中で、ふと夜 縁側から 道を隔てて前の家の屋根を
みると トタン屋根の上に 霜がおりていました。

冬になれば よく見慣れた光景でしたし、何の変哲もない
景色なのですが、この変わらない光景を維持するのに
どれだけの苦労が人にはあって、来年、同じ光景を見るにも
多くの苦労や頑張りや努力の積み重ねがあるのだろうか
と思いました。

子供のころその景色をみても ああそうか寒そうだと
思うくらいでしたし、どちらかと言えば朝などはその霜の
白さの濃淡で寒さをさぐったりもしていました。
ですから、霜から寒さは感じても社会の不安など想起することなく
守られながら大きくなれたのだと思います。
これはとてもありがたいことです。

一方、同じ景色をみても、大人になってみるとそうは
いかない。不安や不満、心配といったものが多かれ少なかれ
人にはあって、それを克服したり、どうにか乗り越えたり、
負けちゃったけど、また頑張ろうとしてみたり
迷いもあれば、勝てたと思ったり、違う選択をしてみたりと
様々なものがあるのが普通ではないでしょうか。

そして、それはその霜がおりた屋根を昔と変わらずに守って
きたその隣家の方にもあるはずで、何も変わらないように
思えて、実は、人間にとっては大きな変化が常に起きている。
そうしたことをその月に照らされた霜から感じました。

このお正月、多くの方が郷里を訪れて、昔と変わらぬ光景を
ご覧になられたのではないでしょうか。
そのことに何か教訓めいた気づきを得てほしいなどとは
思わないのですが、多くの人にとってそうした慣れ親しんだ
光景が何か気持ちを良くしてくれるものならいいな~と
思いましたし、何か帰省というもののセンチメンタルな部分
にこうした感慨もあるのではないかと思いました。

ちなみに、子供時代の記憶などをもとに何かを紐解いていく
これは 柳田国男の研究手法に多くみられるようです。

年末にちょうど、石井正己さんの『いま、柳田国男を読む』
という本を読んで、これが年末最後の1冊だったのですが、
柳田の生家と出身地の関係を細かく記載されていて、
こんな気分になったのも、この本のせいかもしれません。

2012年12月16日 (日)

坂野徹著「フィールドワークの戦後史 宮本常一と九学会連合」

日本大学教授の 坂野徹さんの

『フィールドワークの戦後史 宮本常一と九学会連合』
(吉川弘文館)

九学会連合を最初、九州の学会の連合かと思ってしまったのですが
これは勘違いで

戦後、人類学・民俗学・考古学などの学会が 渋沢敬三
の呼びかけのもと
結集し、対馬や能登半島、奄美などを共同調査したことを
示しています。

この中で、戦後の政治的な思惑と学術調査の関わり、
アカディズムにおける中央と地方の確執

こうしたものをよく浮き彫りにしていて
戦後の民俗学の姿を教えてくれます

また、この中で、宮本常一や 渋沢敬三が 常に
地方の住民のことを意識し、その生活改善のために
心を砕き、実際に行動をされた姿は とても勉強になりました。

思考をする人間の一人として 忘れてはいけないこと
のように思います。

2012年5月 6日 (日)

東日本大震災と宮沢賢治、山折哲雄氏のインタビューを読んで

震災後のことば 8・15からのまなざし 日本経済新聞社刊

この本は、東日本大震災と終戦の対比を以下の言論をリード
する文化人にインタビューしたものです

吉本隆明、中村稔、竹西寛子、野坂昭如、山折哲雄、桶谷英昭、吉井由吉

この中で、僕は山折哲雄氏の宮沢賢治に対する言及が印象に残りました。
いくつかその記述を紹介します。

賢治の書いた『グスコーブドリの伝記』が問いかけるもの・・・という
なかで、

この物語は、ある科学者が冷害から村を救うため火山を爆発させる。
そのために自ら犠牲になるという物語なのですが、この紹介から以下が
語られています。

----------------------------------------------------------------
賢治は、幸福な社会を実現するには、どこかで誰かが犠牲にならなければ
現実の力にはならない、という認識をもっていたと思いますね。

----------------------------------------------------------------
原子力エネルギーによって、(中略)そこで発生するリスクをどおするか。
賢治的な発想に立てば、だれかが犠牲になって食いとめるということに
なるんです。

----------------------------------------------------------------
近代というのは、何かの専門家になることによって、社会的に評価されたり、
認められたりするわけです。(中略)賢治のようにいろいろなものになろう
とした、人間の可能性に挑戦した人間を、少なくとも専門家として評価
する人は当時いなかったと思うんです。(中略)科学者なのか、作家なのか、
宗教家だったのか、どうも分裂しているわけです。(中略)今まさに我々の
社会というのは、単なる専門家であっていいのかという問いが、いろいろな
方面から突きつけられている。専門家とは何なのか、今回の原発の問題でも、
まさにそれが問われているのではありませんか。

----------------------------------------------------------------

この本を読んで、山折氏が花巻出身だったり、宮沢賢治について話されている
文章を読んだりしていたことは知っていたのですが、震災と結びつける
着想はさすがと思いました。

また、宮沢賢治の生き方そのものを客観的に評価されていて、これは自分と
重ねることもできないのですが、彼が生きていた年齢と自分の年齢が近く
なってきたことを気づき、怖くもなりました。

私自身は、まだまだ何も生み出せずにもがいているのですが、でもこうした
記述をみつけられたのは読書故であり、読書の役割でもあるので、
こうした気づきを得られたことを糧に、めげずに向き合っていこうと思いました。

『グスコーブドリの伝記』も手元においておきたい一冊になりました。

2012年4月15日 (日)

花森安治著 一銭五厘の旗

一兵卒が満州の地で岩波文庫三冊を隠し持ち その1冊が
シャミッソー『影をなくした男』であたり

明治時代、新潟から一人上京した女性、後に、鞄職人となった
重田なをさんのお話や

働く女性のさきがけであり夭折された編集者のお話

花森安治の「1銭五厘の旗」を読んでいると
忘れてはいけない物語が たくさん詰まっているように感じる
それは生活者への優しい眼差しであり 信念なのかと思う

日常では、なかなか手に入らないものを手に入れようと
奮闘しているけれど

一方で 自分の座標をどこにおくか そうした事柄は
寄り道のように思える読書の中にあるように感じます

2012年3月14日 (水)

子育てと家族

息子が幼稚園に通っていたころの文集にたまたま目を通すと

冒頭の園長の言葉で、

これまで家庭で育んできた子供たちを入園と同時に、より大きな
家族の中で育てようといった 呼びかけがあった。

牧師の言葉でもあるので、聖句が引用され、より宗教的な響があって
思わず泣いちゃうくらいの名文なのだけど

落ち着いて考えると、この呼びかけは、幼稚園でも小学校でも、
学校教育と家庭という2軸の対比で、違和感のない、普通のお話では
ある・・・。

一方で、この 家族 の概念が大きく変化しようともしている。
変化というよりも、変化しなくては対応できない状況に追い込まれている
ことを

バーバラ・ポーコック著「親の仕事と子どものホンネ」(岩波書店)

親の仕事と子どものホンネ――お金をとるか、時間をとるか

を読みながら感じた。

バーバラ・ポーコックは、南オーストラリア大学ワーク・アンド・ライフ
研究センターの所長で労働関係やジェンダーの専門家で2児の母親でもある。

この本は、オーストラリアの労働環境と子育てを書いているので
そのまま日本に当てはめるわけではないけれども、日本でも出産や
仕事の両立といった面からも参考になる点は大きい。

例えば、子育て世代の出産と仕事の両立を支える生活維持の基盤として
以下の3つの可能性を示唆している。

私家族主義  ・・・ 個々の世帯内部でのサポート
市場家族主義 ・・・ 市場の製品とサービスによる生活の維持
公家族主義  ・・・ 法・制度および公的施設と公的助成による生活の維持

この見解は、家族といった枠組みに変化が起きていることを感じさせてくれる。
当然、出産のときだけが家族の出番ではなくて、末期の家族もこれまでとは違った
形になるのかもしれない。

無論、肌で感じた家族の絆を 良くも悪くも体現してくれるのが「子ども」自身でも
あるだろう。

みんなが必死に働いて子どもを育てている。妻に甘えている自分ではえらそうなことは言えないけど・・・ その中で、家族の姿を自ら問うことまでもが

現代人に宿題として課せられていることは、少し酷なようにも思った。

2012年3月 5日 (月)

生駒山 『生駒の神々』 宗教社会学の会編

奈良の生駒山には宝山寺がありますが、そのほかにも多くの
寺社があり、中には朝鮮寺と呼ばれる在日朝鮮人の方からの信仰を
集めているところもあるとのことで、さながら宗教の密集地域であることを

宗教社会学の会編 聖地再訪 生駒の神々 変わりゆく大都市近郊の民俗宗教

にて知りました。

聖地再訪 生駒の神々: 変わりゆく大都市近郊の民俗宗教

これは、宗教社会学の会が、1985年に『生駒の神々』を出版しており
ここに掲載されている宗教施設を中心に改めて、生駒の調査をしたもので

昔ながらの講や信者が減っていく反面、スピリチュアルブームで
若い人が団体で寺院に押し掛けたり、小グループで瀧行にやってくる
また、石切神社近くの占い店の様子

はたまた後継者がいない宗教施設を大阪の建設会社が手に入れ
その宗教法人を主体として霊園経営をしているなど

大都市圏からすぐの聖地ではあるけれど 古くからある信仰の地も
現代の世相がみられることが よくわかりました

それでも、関東にいるとわかりませんが、このブログでも
大阪の民間信仰の本を読んだことを紹介しましたが、
西日本のこうした民間信仰の根強さは 怪しい新興宗教に対して
免疫を高めてくれる役割にもなるのではないかと思います

生駒の宗教施設も 初代に何かしら霊力やカリスマ性があって
信者を得てお寺を創建する

※お寺といっても一般の住宅に祭壇があるという感じのものが
 多いようです。

そして、その初代が鬼籍に入るころには、信者も高齢化してきて
徐々に静かになっていく、代替わりが上手くいかずに
すたれてしまうことも多いようで、そうしたことで新陳代謝も
繰り返すのですが、修験道の修行の山であることからも
わかるように、一定の自然が 宗教の暴走を止めてくれているようにも
思います。

また、新たに創建されたお寺も多くは、古くからの仏教の
宗派の末寺や教会といった位置づけにあるものもあり
そうしたことで統制がとられているように感じました

なかなか、関西に行くことはないのですが
時間があったら 生駒山に行ってみたいです。

2012年2月24日 (金)

谷根千のこと  ローカル・メディアと都市文化 岡村圭子著

重松清さんの 「定年ゴジラ」を文学座が舞台で上演していて
それをテレビで観たことがあった

■文学座
http://www.bungakuza.com/teinen/index.html

とても面白くて、まあだいぶ前のはずだけど その場面が

独協大学国際教養学部准教授 岡村圭子さんの

ローカル・メディアと都市文化「地域雑誌 谷中・根津・千駄木」
(ミネルヴァ書房)

にて、紹介されていて 舞台のことを思い出した。

そうした知や記憶をめぐる発見は楽しいのだけど 一方でこの本で
紹介されている 「地域雑誌 谷中・根津・千駄木」が作り出した

「やねせん」という世界観について、実際の雑誌を発行した人の思い、見守ったり
利用したりした人の姿、様々なことが克明に、等距離で記されていて
とても考えさせられる内容でした

おそらく勝手な個人的な考えだけど、その活動を通じて、経済をまわそうか
または想いを優先にして経済の部分は見ないようにする、または経済を
気にしなくてもよい、ある程度、恵まれた環境であるかどうかが
ローカル・メディアにとっては 一つの分かれ道なのではないかと
感じた。

幸い働く場所が多い 東京の下町と、働く場所も少ない地方における
ローカル・メディアでは性格が変わってきてしまうだろう。

それでも 我々にとって幸いだったことは、ローカル・メディアの
新しい精神的な自立が、「地域雑誌 谷中・根津・千駄木」に関わった
皆さんによって作り出されたことではないだろうか。

地方には、それこそ様々な地域紙が存在する。
権力の監視役のようなそうでないような怪しいものすらある。

その時に、これからを志す人が立ち戻る記憶があることはとても
いいことだとおもう。

■谷根千ねっと
http://www.yanesen.net/

2012年1月26日 (木)

ニューアバニズム

三浦展さんの

郊外はこれからどうなる?
東京住宅地開発秘話

を読む。

自分自身が、なかなか西武文化から抜けきれずにいるなあと
改めて実感

この本の主題とは違うのだけど 三浦さんは パルコで マーケティング情報誌
『アクロス』の編集長をされていた方で そこにある意味君臨というか
時代を体現もされた方と思うのだけど

ぼーっと高校生をしていた自分にだって 何か静かに価値観のようなものが
迫り来て 別に東京の郊外に住んでいたわけでも 山の手に住んでいたわけでも
ないのですが

今だって あまり都会じゃない 品川の隅のほうに住んでますが 文化的な
きどりがほしいわけでもなく・・・

それでも 西武文化 から いつ抜けきれて 新しい文化が どんなふうに
つくられるのか、若い人の価値観は違うのだろうけど でも抜け切れてはいない
のではないか そんなことを 考えてしまいます

もしかしたら これからの 郊外のあり方に そのヒントがあるのかも
しれません

本書では 海外の事例として ニューアバニズム が紹介れています。

これは、ピーター・カルソープというひとの

The Next American Metropolis:Ecology,Community,and the American Dream

邦訳『次世代のアメリカの都市づくり』 にて提唱されているものだそうです。

※この本の まえがき がとても良いとのことです。

ピーター・カルソープ
アンドレス・デュアニー
エリザベス・プレイター・ザイバーグ らが提唱していて 後ろ2人で
DPZと呼ばれているそうです。

これらは、日本においては コンパクトシティへの続くようですが、
そうした外側ではなくて 内面を変化させていく部分に 何か次の時代への
ステップが隠されているように感じます。

2011年12月21日 (水)

さいごの色街 飛田  井上理津子 著

ブログでどう紹介していいのか・・・

飛田(とびた)と聞いて わかる方もいれば、そうでない方もいると
思うのですが

よくぞ本にしたなと感心せずにはいられない

フリーライターの井上理津子さんが書いた 「さいごの色街 飛田」筑摩書房

これはすごいです。よくぞ出版に踏み切られたとも思いますが、
逆にこのくらい 赤裸々に書いておかないと身すら守れないのかもしれません。

戦争ルポとかそういったジャンルではないけど、静かに ずっしり でも案外
そこに暮らす人にとっては何気ない日常でありながら 普段は語られない
世界を 時間をかけて取材して しっかりと描いています。

なかなか僕自身は接点を持たない世界なので好奇心から読んではしまいますが、
眼を閉じることなく現実をとらえていて、しかもわからなかったり、想像を
するしかない部分はそのように正直に書いているし、テーマとは反対に
とても新鮮なルポとも読めました。

それにしても、性を扱う街での、人間の 生 のすごみのようなものだったり、
やるせなさのようなものを 幾重にも感じます。

それはその街にどのように関わるかによっても違ってくるのだけど、
女性が夜の世界の女性の物語を発掘していくなかで、男性にも女性にも
客観的な位置から淡々と事実を表現をされていて 労作だったと思います。

最近のトラックバック

2014年8月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ
フォト

いつか読む本