カテゴリー「宗教・信仰」の22件の記事

2013年12月 8日 (日)

中村哲著 天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

アフガニスタンでの灌漑用水路の建設などを達成された
PMS(平和医療・日本)の 中村哲さんの著書を読みました。

中村哲著 天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

最後に書かれた氏のメッセージを記します

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今、周囲を見渡せば、手軽に不安を忘れさせる享楽の手段や、
大小の「権威ある声」に事欠かない。私たちは過去、易々とその
餌食になってきたのである。このことは洋の東西変わらない。
一見勇ましい「戦争も辞さず」という論調や、国際社会の暴力化も
その一つである。経済的利権を求めて和を損ない、「非民主的で
遅れた国家」や寸土の領有に目を吊り上げ、不況を回復すれば
幸せが訪れると信ずるのは愚かである。人の幸せは別の次元に
ある。

人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。少なくとも
私は「カネさえあれば何でもできて幸せになる」という迷信、
「武力さえあれば身が守られる」という盲信から自由である。
何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できる
ものなのか、目を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を
回復することである。

(中略)

今大人たちが唱える「改革」や「進歩」の実態は、宙に縄をかけて
それをよじ登ろうとする魔術師に似ている。だまされてはいけない。
「王様は裸だ」と叫んだ者は、見栄や先入観、利害関係から自由な
子どもであった。それを次世代に期待する。

「天、共に在り」
本書を貫くこの縦糸は、我々を根底から支える不動の事実である。
やがて、自然から遊離するバベルの塔は倒れる。人も自然の一部
である。それは人間内部にもあって生命の営みを律する厳然たる
摂理であり、恵みである。科学や経済、医学や農業、あらゆる人の
営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる
道はないであろう。それがまっとうな文明だと信じている。その声は
今小さくとも、やがて現在が裁かれ、大きな潮流とならざるを得ない
だろう。

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本書を読んで、中村哲氏が作家・火野葦平の甥であることを知りました。
そのことと、氏が紛争地域に身を投じたことの因果はわかりません。
ペルシャワールの活動への参加経緯も詳しく書かれていて
偶然に導かれるということがあることを知りました。

また、危機が訪れるたびに、判断された行動に筋が通っていて
すごいと思いました。

氏の活動を支えていらっしゃる多くの皆さんにも敬意を持ちました。

まだまだ、私たちにできることは たくさんあります。

2013年5月 6日 (月)

宮沢賢治に近づく一冊  『賢治から、あなたへ』

大学の図書館においてあった一冊

ロジャー・パルバース著
『賢治から、あなたへ 世界のすべてはつながっている』
集英社インターナショナル刊

この本を目にして、宮沢賢治が好きなので 何気なく手にしたのですが
とてもとても良い本でした。

ロジャー・パルバース氏は、作家・劇作家・演出家で 東京工業大学
文明センター長を務められています。

初めて知ったのですが、賢治に関する著作もある方でした。

いくつかの作品の紹介とその作品が収められているのですが、
例えば宗教学者の賢治本と違って何か一つの色に染められている
のではなくて、その作品にまつわる知識が豊富であり、かつ世界中
の教養の中から賢治の位置づけを評価しているので、私にとっては
新しい賢治感のようなものを感じて、より宮沢賢治にも近づくことが
できたのではないか、そのように感じさせてくれました。

そして、つまるところ、それこそが仏教の世界観でもあったし、
ひとつの経典に書き記されていることと実は同じなのではないか
そのようにも思いました。

例えば、私にとって 雨ニモマケズ は 般若心経 と同じように
位置づけて、普段考えたりしているのですが、こうしたふうに
感じることの自由さを認めてくれる一冊のように感じました。

また、一方で、賢治の気持ちになっていみると、もしや死後に
いろいろな研究者の研究の対象となりえることを想像しては
いなかったといつも思います。

けれどそれが許されるのは、彼の考えや思想が、だいぶたっても
世の中に必要とされていて、その水先案内人としての研究者の
存在が許されてもいるということではないかとも想像します。

では、なぜ 賢治の思想が必要とされているのでしょうか?
それを私は、誰にでも 賢治が求めたような生き方を求める
気持ちがあるからだと考えます。

逆説的なのですが、彼が求めるような生き方を、信仰の生活を
超越して、実生活の中で実践できた数少ない事例だったからでは
ないでしょうか。

本書を持つと、その実践にどれだけの能力が必要だったかも
わかります。では、能力がない自分ならどうしたらいいか、そうした
様々な問いかけを 後にいきる私たちは ガイドブックや研究書など
から ひもとくのかもしれません。

もちろん、本当の幸いが何であるか、そのことも、わかるようで
わからないものです。それでもなお、多くの人が賢治に興味を
持つのは、何か人間の可能性を見失いたくないという 共通の願い
のようなものが起因するように 私は考えます。

久しぶりに 宮沢賢治の世界に浸ることができて
本当によかったです。

2012年7月23日 (月)

ダライ・ラマ14世 傷ついた日本人へ

ダライ・ラマ14世の 『傷ついた日本人へ』

東日本大震災の被災地と高野山を訪れた際の講演などを
記録したものです

この中で、因果のルールと、カルマの影響、これは輪廻を前提と
しているのですが、そうした部分に興味を持ちました

因果の法則
1)因がないところに果は生じない
2)不変からは果は生じない
3)因には果を生み出す素質がある

カルマ

「煩悩が強く、悪い行いを続けた人であれば、その悪いカルマがより
卑しく苦しい来世を呼び寄せます。逆に煩悩をなくそうと努め、
正しい資質を身につけた人は、よりよい生をうけることとなる。
(中略)
過去に悪い行いをしたら、新たによい行いをすること。そうすれば、
悪いカルマを、新しいカルマで減じることができ、よい縁起を
増やすことにもなります。」

なかなか 良くいきることは大変ですが がんばりたいです

2012年7月15日 (日)

みたままつり 行ってきました

Facebook上で 友人の多くが みたままつりに行ってたので
なかには ちょうちんの 献灯もされていたり・・・
すごい!

ということで 近くに用があったので夜行ってみました。

とてもきれいである一方、遺族会からの献灯などをみると
遺族の方も高齢化されているのだろうな・・・とか

さまざまなことを思いました

夜なので 若い人で 結構にぎわってもいましたし
どこか戦争を感じさせる雰囲気も当然あるわけですが

ふと思うと、どのような形であっても、戦中の様子を広く
市民に伝える場所として 機能している施設が、
あまりなくて、広島や長崎の原爆についての施設や
沖縄の施設を除くと

とくに東日本エリアにおいては、靖国神社のような
存在しか見当たらないのではないか

昭和館やさまざまな施設があることはわかるのですが、
ふと通りがかりに、そのことを知らしめてくれるような
存在として思うと そう思うのです。

なかなか難しい問題ではあるのですが、もしかしたら
これからは 英霊の場所 だけではなくて
事実を語る場所としての役割も果たしていく可能性が
あるのではないでしょうか。

みたままつりは 失われた命を慈しむおまつりのように
思います。その事実と向き合うことも私たちのつとめで
あるように感じます。

2012年7月 8日 (日)

鈴木秀子さんの本から 死と向き合うこと

自分では買わない本も 家族だったり 人から勧められることで
読むことがあります

セラピストの鈴木秀子さんの

「死にゆく者からの言葉」
「生かされる理由」
「いのちの絆 大震災を生きる」

を読みました。

癌を患われた方の最期との向き合いを通じて
また、信仰の中での 生と死
臨死体験など

様々を読んで、日ごろ 自分自身の寿命など考えずに
生活をしているのですが、

時に、せめて なぜ生かされているのか、何を遺せるのか
そんなことも考えたり

また、そうした身近な死と どうやって向き合っていくのか

そんなことを 考えました

それぞれの本に 様々な方の人生の物語が収められていて
とても勉強になりますし、こうしたものが心に残るのだとも
思いました

1冊の本にこんな言葉が記されていました。

「愛する人たちにのみ死がある。そして愛する人たちには死はない」

この言葉ひとつに 多くの人が救われてきたのではないか
そんなことを思いました。

2012年6月21日 (木)

曽野綾子著 自分の財産

曽野綾子さんの 「自分の財産」から

これは産経新聞に 2007年~2011年にかけて連載された「透明な歳月の光」

から一部を掲載・追記されたもの。

私の中で 曽野綾子さんというと 東京マラソンの人というイメージで
意外と思われるかもしれませんが 下記のブログ記事をご覧になられればと
思います。

■笹川陽平ブログ
http://blog.goo.ne.jp/yoheisasakawa/e/ec557efe8482357a7b370e7175e34d79
http://blog.goo.ne.jp/yoheisasakawa/e/d99628ec101fe6fbfdb6886ca66642f3

さて、この本の中で 心に残ったものをいくつか・・・

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総じていい味のある存在は、苦難と不足に耐えた境遇から生まれ、
妥協をしない姿勢によって伸びるものかもしれない。

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人間がとれほど、残酷にも優しくもなり得るかということは、
私たちは未経験の分野として「学ぶ」ことで、その架空経験を
習得する。近年学ぶという空気が稀薄になったから、結果的に
残酷が日常性の中に浸透してきたのである。

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自分らしい欠点は誰でも残しておけばいいのである。それが
私が私たる所以だと自覚すれば自然になれる。

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私たちは貧しさからみじめさを取り除くために働いてきました。
しかし私たちは貧しさの価値も伝えていきたい・・・団結、友情、理解などです。
私たちは子供の涙を拭いたい。ここでは子供の悲しみが大きすぎるからです。
貧しさの中の力は能力です。それだけは自分で得たものです。
※ある神父の言葉

2012年6月 2日 (土)

大国主の神話 吉田敦彦著

毎年、近所の七福神を巡ったり、府中市になる大國魂神社にお参りしたり
することはあるので、あの大黒様について書かれている本をみつけて
手にしてみました。

学習院大学名誉教授の 吉田敦彦さんの

大国主の神話 ~出雲神話と弥生時代の祭り~

大黒様の神話とギリシャ神話の相違点といった比較は面白く
昔むかしのその昔、何かつながりがあったのではないかと
おもわずにはいられませんでしたし

歴史と神話が同居している時代の暮らしから派生する
神話の輪郭をとても面白く読みました。

現代に生きる私たちも、何かしらの世界観を無意識に
もっていて、それがどのようなものであるかも我々に
委ねられているのですが

ある程度の世界観を人々が共有した時代というものが
どのようなものであったのか興味をおもちました

いまも企業の中にいれば、そうした世界観を共有するという
ことがあるわけですが、そうした事柄との対比もまた
楽しいと思いました。

そして、大黒様はある種のカリスマだったと思うのですが
そんな力を得て 世の中を羽ばたけたらこれはすごいことです。

神話の世界、普段は無縁ですが 面白いですね。

2012年3月 5日 (月)

生駒山 『生駒の神々』 宗教社会学の会編

奈良の生駒山には宝山寺がありますが、そのほかにも多くの
寺社があり、中には朝鮮寺と呼ばれる在日朝鮮人の方からの信仰を
集めているところもあるとのことで、さながら宗教の密集地域であることを

宗教社会学の会編 聖地再訪 生駒の神々 変わりゆく大都市近郊の民俗宗教

にて知りました。

聖地再訪 生駒の神々: 変わりゆく大都市近郊の民俗宗教

これは、宗教社会学の会が、1985年に『生駒の神々』を出版しており
ここに掲載されている宗教施設を中心に改めて、生駒の調査をしたもので

昔ながらの講や信者が減っていく反面、スピリチュアルブームで
若い人が団体で寺院に押し掛けたり、小グループで瀧行にやってくる
また、石切神社近くの占い店の様子

はたまた後継者がいない宗教施設を大阪の建設会社が手に入れ
その宗教法人を主体として霊園経営をしているなど

大都市圏からすぐの聖地ではあるけれど 古くからある信仰の地も
現代の世相がみられることが よくわかりました

それでも、関東にいるとわかりませんが、このブログでも
大阪の民間信仰の本を読んだことを紹介しましたが、
西日本のこうした民間信仰の根強さは 怪しい新興宗教に対して
免疫を高めてくれる役割にもなるのではないかと思います

生駒の宗教施設も 初代に何かしら霊力やカリスマ性があって
信者を得てお寺を創建する

※お寺といっても一般の住宅に祭壇があるという感じのものが
 多いようです。

そして、その初代が鬼籍に入るころには、信者も高齢化してきて
徐々に静かになっていく、代替わりが上手くいかずに
すたれてしまうことも多いようで、そうしたことで新陳代謝も
繰り返すのですが、修験道の修行の山であることからも
わかるように、一定の自然が 宗教の暴走を止めてくれているようにも
思います。

また、新たに創建されたお寺も多くは、古くからの仏教の
宗派の末寺や教会といった位置づけにあるものもあり
そうしたことで統制がとられているように感じました

なかなか、関西に行くことはないのですが
時間があったら 生駒山に行ってみたいです。

2012年2月27日 (月)

結縁灌頂

学研の 密教がわかる本 エソテリカ編集部編 は
とても詳しく 密教のことが紹介されています。

その中で、結縁灌頂という 一般の人向けの修法があることを
知りました。

Wikiによると

結縁灌頂(けちえんかんじょう) 出家して、どの仏に守り本尊と
なってもらうかを決める儀式。投華得仏(とうけとくぶつ)といい、
目隠しをして曼荼羅の上に華を投げ、華の落ちた所の仏と結縁する。
曼荼羅には鬼神や羅刹などもあるが、その場合でも、祀り方などや
儀式を伝授される。空海は3度これを行い3度とも大日如来の上に落ちた。

となっています。

ネットで調べるとこれを高野山でも行っているそうです。

http://www.koyasan.or.jp/kongobuji/event/kechienkanjo.html

また、高野山での灌頂では、すべての絵が大日如来となっている
そうですが(体験者の方のブログなどによると)どうなんでしょうか。

秘密めいたものが 名前の通り 密教にはありますね。

自分も経験してみたいなあ~と思いました。

2012年2月26日 (日)

詩人の役割

小森陽一とアーサー・ビナードの

泥沼はどこだ 言葉を疑い、言葉でたたかう

この本の中から なるほどと思った一節をご紹介

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言葉の本質はどこにあるか、使われている言葉と現実との
ギャップがどうなっているかということを(中略)専門分野関係なく、
みんなで協力して点検して、それで言葉をぐいっと引き寄せなければ
いけない。その仕事は詩人の仕事であり、(中略)言葉を使って
生活しているあらゆる市民はみんなそこを考えなければいけない。

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大人が自分の責任をとらないようにしようと押し隠しているところを、
子どもたちは批判し、追及し、同じ言葉は使いたくないと思っている。
大人が「子供の言葉が乱れている」というのは、そんな子どもに
痛いところを突かれて、ムカツクからだと思う。思春期の子どもの
言葉のあり方こそ、大人の鑑ということです。

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あまり普段、詩人について 考えないのだけど よく外国の歴史を
調べていて 帝国から独立を勝ち取ったような国の文学をみると、
国民的詩人といった詩人が登場しますが、日本で国民的詩人というは
ちょっと思いつきません。

それは言葉で何かに抵抗していくような歴史をあまり大きくは
持たないことの幸いでもあったと思いますが、一方で詩というものを
遠ざけているのかもしれません。

この本を読んでいると 日常に潜む詩人的な役割の必要性を
感じます。

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