カテゴリー「教育」の9件の記事

2013年3月30日 (土)

子どものための親子論 芹沢俊介・著

タイトルをみて はやとちり ではないけれども
教育書・育児書と思い本書を手にした

けれども 実際は 里親向けに書かれた 里親になっていく過程が
書かれた本だった

里親というのは、血縁のない親子関係をもつ 親の方となるが
本書に目を通している中で、里子となった子供が、まだ2歳、3歳というのに
里親に 「ママは本当のママ?」と聞いたりするといった記述から
子ども心って こんなに早くから物事を感知するんだということに驚いたり

里子が引き取られ、なじむまでに 里親を試す時期があることなど知り

これは血縁のある親子関係となんら変わらないのだと気づき
しっかりと読みました。

現代の社会は結婚もそうだけど、親子関係を作ることも難しいように
受け取られます。

でも 親子のなりかたも寛容でいいのではないかと思います。
子どもを手放さざるをえなくなった親の出現は少ないほうがいいように
思いますが、それでも子供には罪がありません。

里親として その子供の親になっていく
それは まったく普通の親子と同じ、またはそれ以上の絆によって
はぐくまれていくものである

そうこの本は教えてくれます


2011年12月30日 (金)

幼稚園の図書館の蔵書票

版画展か個展か 何かにお邪魔した際に 何気なくいただいてきた
蔵書票のサンプル

もちろん どうぞ と言われたものといただてきたもの

あらためて よくみたら 幼稚園に開設された図書館の蔵書票でした

刷られた絵もとてもかわいくて その幼稚園に親しみをもち
サイトも見てみました

教育方針もしっかりと語られていて 地域の方や父兄と父兄OBにも
支えられていて

子供の場所をみんなが守り作っているという実感をもちました

この蔵書票が貼られた本を手にする子供たちは幸せだと思います

まだその価値はわからないかもしれないけど たとえば1冊の絵本が
持つ意思、これは 作者はそうだけど この本をこの図書館に置いた人の
意思は この蔵書票からも伝わってくるのですから

いつか機会があったら この幼稚園の図書館を見学したいなあと思いました。

2011年7月 6日 (水)

時に海を見よ

ある本にあったことば

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教師として大切なことのひとつは、今、接している子供たちに真剣に向き合うことはもちろんのこと、経済上の理由や、家庭の事情や、はたまた退学の処分による者や、何らかの理由で学校をやめていった生徒と、その後、いかに向き合うかである。 教師にとって、根本的には愛校心などは不要である。二の次である。教師が目を向けるべきは、学校ではない。誤解されるかもしれないが、学校の実績や経営のために、生徒に教えているのではない。生徒に向き合うのは、個人としての教師であり、個としての生徒である。公共心を教えることは大切だが、一団体、一国家のための教育は成立しない。 それゆえに、学校をやめていった生徒も、生涯、自分の教え子なのだ。やめていった生徒こそ、心にかけなければならない生徒であることを忘れてはならない。

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これは、東日本大震災の影響で卒業式ができなかった学校の校長先生がホームページで、卒業生へのメッセージを掲載したことで話題になった 立教新座中学校高等学校校長の 渡辺憲司さんの 「時に海を見よ」の中に、納められていた言葉です。

経歴を拝見すると、大学院時代に定時制の先生をされていたり、地方の学校や進学校など、さまざまな場所で教育の現場にいらした方のようで、ご苦労も積まれてきた方なのではないかと推察しました。 それゆえに、とても含蓄のある言葉でてくるのではないかと思います。

この本が出版されるきっかけとなった卒業生へのメッセージは高校のホームページでも読むことができます。

■立教新座中学校高等学校

 http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

そのほかにも この学校のホームページで 学校長の祝辞やメッセージがよむことができて それぞれがとても良い文章です。 何よりもこれらを読んで思うことは、最近、ものごとをずっしりと語ることができる大人が少なくなってきたなか、質実で飾らず心に響く内容であることが魅力と思いまいた。 逆に残念ながら、学校でしかこうした言葉が通じないくらい現代の社会が色あせたものにはなっていないだろうかと危惧を持ちました。

2011年6月30日 (木)

黄色い帽子と朝の通学路

何か夢をみていた。
そしてインターフォンがなって起きると
映し出された青白いモニターには
泣きじゃくった息子が映っている

すぐに オートドアを開けて
何事かと思う

ハンカチとティッシュを忘れた
と言って彼は泣きじゃくりながら
パニック 小学1年生の黄色い帽子の下の
顔をぼくは あまり見ることができなかった

一方で妻はおらず 妹と僕
パジャマを着た二人には突然のことで
すごい寝坊をした自分のようなものを
感じながら 一方で ハンカチと
ポケットティッシュを洗面台に探して
手渡すものの まだ泣きじゃくる

家内が忘れ物を届けに外にいったことを
悟って 携帯にかけるが 部屋の中で
着信音が響く

これはだめだ・・・まだ会社には間に合うものの
彼をひとり送り出すのは気が引けた
あわてて 着替えて ひげもそらずに
彼と外へ

駅からあわただしく降りる人たちをみながら
僕はどんなふうに見えているのだろう・・・
などと思いながら、それにしても暑い朝の
アスファルトの通学路を学校に続く
最後の坂まで すべて彼と一緒に歩いた

別に彼と話すこともないし
きっとこんなときに 親と話したいとは
思わないだろうと考えて

少し前をただ歩く
小さな足で 遅刻ぎりぎりであることは
わかるくらいに一生懸命歩いていることは
わかった

そんな彼に何が言えることもないし
何を言ってもしかたないように思った

人間には 静かな行動しかないときがある、
それにしても真夏の朝の世の中が動きだしている
瞬間に 顔も洗わず、ひげもそらず いい加減な
格好をして歩いている自分もひどい

もし、息子を先導するくらいの役割がなければ
近くのコンビニにすら行きたくない姿をしている

校門の前を通り過ぎると、彼は何もいわず吸い込まれていった
校長先生が立っていて おはよう と声をかけてくれて
なぜか僕にも おはよう いってらっしゃいと
声をかけてくださった

距離をおいて歩いていたのに 顔が似ているからか
それとも 彼の視線が常に僕の背中を追っていたからか
わからないけど 親子であることは わかっていたようだった

きっと 親子のきずなってのも こんなものかもしれないと
帰りの高架下で思った

見えないようで 見える でも見ようと思わない人には見えない

そういえば 道の曲がり角から 息子さんの通学を見守っている
お母さんがいた

親って 本当に字の通りだと思ったし、こうして見送ってもらえる
あの子も幸せだと思った

その日、彼は無言で帰宅して 母親が朝の一件のことを聞いてみて
とくになにもなく まあ 言いたくないことだろうと思った

それでも、今日のことを彼は忘れないのではないだろうか。
忘れようと思っても、父親が緑色のTシャツを着て ぼさぼさ頭で
学校まで 歩いていったことくらいは おそらく覚えていると思う

覚えてくれていなくてもいいのだけど、けれどもこうして年を
重ねる中で、何度も何度も いろいろなことが起きて
それらを飲みこんで人が生きていくことを いつか気づくのだと
思う

彼はすでに その道の半ばにいて それでも生きようとしている

誰もが通る道だけども、その道をまっすぐ歩いている彼をみて
頼もしいと思った

2011年5月22日 (日)

頭のよい子の家にあるもの

四十万 靖 (しじま やすし) さんの

頭のよい子の家にある「もの」


中学受験で合格されたお子さんをもつご家庭を取材されて
まとめられた本です。

この本の冒頭に書いてある

「頭のよい子」、つまり「『ものごとをよく考え、観察できる力のある子ども』は、
ものもひと味違った使い方をする」

がとてもよくこの本の内容を表していると思いました。

取り上げられている もの は みな普通のものなので、ハードルが高い
わけでもなく、しいて言えば、そこに親がどのように関わるかかでは
ないでしょうか。 

2011年3月21日 (月)

学校の危険を減らして 防災上の拠点に

たまたまなのですが 子供が小学校に。。。とうい時期だったので
地震前に

東京大学名誉教授の 畑村洋太郎さんの
「危険な学校」~わが子を学校で死なせないために~


を読んでいたのですが、

そこに本論ではないのですが、三陸の過去の津波の教訓を活かした
避難訓練を学校でどのように行ったらよいかの提言や、

避難場所としても指定されている学校そのものの 耐震化や災害への
備えを強化することの必要性が訴えられていて

まさに この震災が示したことと思いました。

2011年3月18日 (金)

幼稚園の卒業式

17日 息子の幼稚園で卒業式がありました。
教会付属の幼稚園なので礼拝と卒業証書の授与と
子供たちがメッセージを読み上げたり、歌を歌ったりする劇のようなものが
あって1時間ほどで終わりました。

また、その間には いくつもの被災地に向けた祈りも捧げられていました。

さて、卒業式で子供たちをみて、これから小学生にというくらいの年頃で、
大人とは言い切れないのですが、みんな立派でひとりひとりが人格を備えられた
というふうに感じました。

人格という言葉の使い方が適切ではないかもしれませんが、
わが子について振り返ると、とても3年前は、どんな子であろうか
多少はわかっても、やはり気質や性質が表に表れるようになったのは、
この幼稚園の3年間を通じてだと思います。

少しずつ表に出てきて、またそれらを取り繕ったり、ごまかしたり、
誇りにしてみたり、恥ずかしいと思ってみたり、
私たちが普通に感じることがらを同じように感じはじめているのだと
思いました。

そして、大人として彼を扱おう、そんなふうに決めました。


一方で、はたして人格を得ることが人間の成長といえるのかどうか、
解けない問いでもあります。

しかし、人格を覚えてしまった以上、それをみつめ、品格を得ていくように
努めるほかありません。

教会に聖書があるように、日頃の生活にも信仰や善悪の判断などといった
選択する上での本質にも、これから息子は多く触れることになるでしょう。

このような状況のもとでありますが、それが故にこそ、親子共に、
その道をしっかり歩んでいきたいと思っています。

2010年11月20日 (土)

男の子の子育て

父親として どのように子供と接するか
別にそのことじたいは 普通のことだと思うけど
時は流れて 子供は成長し 親は年をとる
その中で 核家族に対応した子育てをしなくては
いけない

従来、地域社会や大家族で 子育てをした自体
とは違い 世間そのものが 子育てを放棄して
若い人の生き方として 子供を持つかどうかの
選択を迫られる状況であれば

当然、親は子育てに失敗したくないと思うし
そうした参考書に手が伸びるのも自然のことと
思う

さて、受験指導などを行ってる
松永暢史さんの

「男の子を伸ばす父親は、ここが違う!」

とても参考になりました。

僕が学べると思ったのは

①自立の一歩手前くらいまでに(10歳くらい) しっかりと
  子供との一生分の絆をつくる

  → 父親にとっても一生の宝物

②火遊びやキャンプなどの実体験の機会を設ける
③現代型女性との付き合い方

上記③について なかなかまとをえていて夫婦だけではなくて
会社でも参考になるかと思いました

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◆現代ニッポンの話です。いまは見渡す限り、
 異常に我の強い女の人たちが多い時代だと
 思います。
 こういう人たちに、つい「あなたはわがまま」
 なんていっちゃったりすると大変です。
 逆襲されて、ひどい目にあいます。
 彼女らはネットワークを組んでいて、お互いに
 わがままを容認するカタチになっています。
 われわれ男性はそれに抵抗できません。
 だから大人になった女の人に、「君、わがまま
 は良くないよ」といっても意味はありません。
 もう、わがままになってしまっているのだから。
 われわれはそのわがままを受け入れたうえで
 どうやってお付き合いしていくかを考えないと
 いけません。

→ 結婚しちゃった以上は 
   わがままも受け入れる

◆単に我が強いのではなく、わかままな女性は
 「論理的ではないこと」が加速された存在とも
 いえます。(中略)わがままな母親のもとでは
 男の子は論理的に考えても認めてくれないので
 論理的思考を放棄しがちです。したがって
 考える行為自体をしなくなり、結果的にバカに
 なってしまう危険性があります。

→ 対処として 父親が子供と論理的な会話をして
  論理的思考になじませる。

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2010年11月 6日 (土)

品川の学校で何が起こっているのか

品川区の小中一貫校の問題を提示する

「品川の学校で何が起こっているのか」
佐貫浩著


僕自身が 品川に住んで 小学校を考える頃の
子供を持つので読んで考えたことを・・・


まず、公教育の荒廃がそもそも問題ではないかと思います。

私学だから問題がないとは言いませんが、
これまで、学校に文句を言うこともできない状況や
地域がどのように学校と連携していいかも
わからないような状況の中、

これは急速な人口増加や都市化など
高度経済成長期のままの学校運営の状況が
時代のニーズに取り残された状態になっていて

たとえば グローバル化の深化を考えれば
その要求水準はすこぶる高いわけです。
それは単に語学ができればとか、外国のことを
知っていればというレベルではなくて、

本質的に自己のアイデンティを探求することや
相手との比較や比較から何を学ぶかといった
グローバル社会での生き方を学んでいくことが
求められます。

そうしたことに、公教育が十分な役割を担える
状態になっていたのかが疑問です。
もちろん家庭にも役割はあり、これを果たすつもりですが
それでもあえてそう思います。

よく教員の子供が教員になるという話を聞きますが、
特殊な世界を作り上げてしっまているとしたら
それも全体としては信頼を得られにく状況に
なっているのではないでしょうか。

佐貫氏のこの本の中では、小中一貫と学区選択制の
問題点や品川教育委員会の横暴のような部分は
よく指摘されていて、これはこれで問題点は十分に
区民がチェックしなければいけませんが、

その対案として、公教育の改善策のようなものを
ぜひ、提示してほしいと思いました。

品川区以外の特別区や千葉や神奈川の大きな
都市に住んでいる小学生を持つ親の方から
話をきくと、学級崩壊を回避するためには私立に行かせる
しかない、だから東大とかにいかせるとかそういうことではなく
ただ安心して勉強させようとすると私立なんですよ。。。
といった声を聞きます。

そう言ってもみんながみんな私立に通えるわけではなく
恵まれた例なのでしょうが、

親の立場からすれば、公立か私立か そこには経済的な
問題もあり、私立にいかせずとも済む状況というのは
逆説的にはとてもありがたい状況でもあります。

都市部に住むための生活コストを負担し、かつ教育コストが
かかることは本当に厳しいと思います。

子供たちに理想だけを語る教員はいらないし、
一方で子供の抱える問題から逃げる教員もいらない。
現実の姿を伝え、かつ問題から逃げないことの大切さを
真摯に示してくれるような教員が多くいる学校であれば
僕は良いと思います。

おそらく、品川区の教育に欠けているものは
子供と向き合うための覚悟でしょう。

ただ、教育行政だけを責められないのは、教員の養成の
仕方をないがしろにしてきた国の問題であるし、
市民ひとりひとりの過失であるように思います。

経済を論じるがごとく、真剣に教育を論じて
こなければならなかった

少子化の統計にあるように、いまや子育てに
関心を持つ人は一握りという時代でもあります。

それゆえに、これからは親自身が口を出し、
自らの子弟を教育し、世界を創れるような
そうした視野を与えなくてはいけないように思います。

そのことが、結果的に未来を創ることになるし、
社会に奉仕したことの福利なのです。

子供を持つ我々が主体的に動くことで、
それは受験戦争をあおるとか そういうことではなく
教育行政に問題があったり、限界があれば
それを政治的に見限ればいいし、

望みがあるのであれば、より良くするための
努力をすればいい。

親自身の覚悟が何かこれからを動かすように
思います。

これからの時代、子供を持つか持たないか、
その選択をしたか しなかったかの階級闘争が
始まるとも限りません。

子育ての苦労をしっかりと 自らの学びにし
社会の発展に寄与していくためには
学校の問題、とてもよいテーマと思います。

その意味において、いまの品川の取り組みは
確かに後戻りできないような制度は動いていますが
これまでとは違う形で 地域住民や保護者が
参画する機会を結果的に作ってくれたようにも
思います。

ぜひぜひ、議論を活発にするべきです。
そして その行動を通じて、子供たちに民主主義の
大切さや、思想や信念を持って生きることの素晴らしさ
そうしたものを大人たちが示すことができれば
素晴らしいです。

その時に、力まかせに動くような行政があれば
それこそ悪い見本でしょう。

教育をしっかりと考えていく。公立の教育現場の荒廃を
防ぐ。それは、私立の学校にも良い影響を与えると
思います。

教育を真剣に考える方がいらしたら
いろいろとお話をしてみたいです♪

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