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2013年3月 3日 (日)

琳派から日本画へ ―和歌のこころ・絵のこころ― 山種美術館

琳派を観に行くと知人に伝えたところ、
琳派とはどんなものですか?と尋ねられ、答えに窮してしまった。

俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一といった名前や風神雷神図、
尾形光琳の手による燕子花図屏風や八ツ橋図屏風といった
イメージを思い出すことはできるのだけど

金ピカなやつ・・・と言うのでは言葉足らずのように思え
適切な表現がその時はうまく説明できませんでした。

そのお目当てにしていた美術展

山種美術館で催されている特別展
『琳派から日本画へ ―和歌のこころ・絵のこころ―』が
http://www.yamatane-museum.jp/exh/current.html

その解を私に与えてくれる美術展であったことが
大きな収穫となりました。

図録に添えられた英文のタイトルは

Spirit of the Rimpa School とあり Rimpa School自体が

○○派の意味ではあるのですが 私にとっては 琳派の授業を
受けたような美術展でした。

それは、そもそも和歌をしたためるために用いられた料紙の
装飾から発展していった過程を知り、さらに、100年単位の時間を
いくつも超えて作風が受け継がれていったことをよく示す
良質な作品群で構成されていたことが大きく寄与したのだと
思います。

一方で、こうした作風を流行やトレンド、ビジネスといった
美術とは異なる次元のものと置き換えて考えてみても、
同様のことが言えるのではないかと感じながら作品群を
拝見しました。

例えば何か流行が生じるのにはそのきっかけは小さな種子のような
出来事であることはよくあります。

同じように企業経営を行っていても、それぞれの事業体が
異なる個性を持つのは当然であり、後世にもその企業が
事業を継続していくには、展示されている作品のように
高い完成度が必要であることを思いました。

日本画は模写により学ぶ過程が多く、多くの型が受け継がれて
おり、退屈のように感じられることもあります。
ですが、良質な作品が持つ、無駄のない構成と宿している生命力
は本当にすごいです。

こうした美を感じる力を養えれば、現代の作品を観る上でも
無駄にはならないでしょう。

また、とても大切なことと思うのは、実は私たちもまた
琳派が作る時の流れの上にいるということではないでしょうか。

普段の美を探るとき、意識しているか、無意識かは別として
多くの日本人の感覚の中に琳派が根づいており、これを私たち
自身が後世に伝えることができる芸術概念ではないかと思います。

元来、和歌との結びつきから派生したものであればこそ
同様に気持ちを言葉に変える時に自然と思想概念として、
琳派に描かれるような世界をイメージしているのではないでしょうか。

もちろん、イメージを形にしていくのが芸術ですから
当然のこととは思うのですが、作家ではない人の心に沸き起こる
作品以前の想像やイメージの世界において、太い柱のように
琳派的なものは機能しているように考えます。

何か留まるをしらない散文になってしましたが 心にとめて
また様々な作品と出会っていきたいです。

ちなみに、琳派についてネットの検索では以下のように紹介されています。

-----------------------------------------------------------------------

【琳派】デジタル大辞泉
 江戸時代の絵画の一流派。俵屋宗達・本阿弥光悦を祖として尾形光琳が大成し、
 酒井抱一などに受け継がれた。鮮麗な色彩や金泥(きんでい)・銀泥を巧みに
 用いた装飾的な画風を特色とする。宗達光琳派。光琳派。

【琳派】ウィキペディア
 桃山時代後期に興り近代まで活躍した、同傾向の表現手法を用いる造形芸術上
 の流派、または美術家・工芸家らやその作品を指す名称である。本阿弥光悦と
 俵屋宗達が創始し、尾形光琳・乾山兄弟によって発展、酒井抱一・鈴木其一が
 江戸に定着させた。

 大和絵の伝統を基盤として、豊かな装飾性・デザイン性をもち、絵画を中心
 として書や工芸を統括する総合性、家系ではなく私淑による断続的な継承、
 などが特質として挙げられる。光琳が宗達を、抱一が光琳をそれぞれ傾倒し、
 その影響を受けている。狩野派や円山・四条派といった他の江戸時代の流派は、
 模写を通じて直接師から画技を学んだのに対し、琳派では時間や場所、身分が
 遠く離れた人々によって受け継がれたのは、他に類を見ない特色である。
 同じような主題や図様、独特の技法を意識的に選択・踏襲することで流派の
 アイデンティティを保持する一方で、絵師独自の発見と解釈が加わり再構成
 されることで、単なるコピーやエピゴーネンではない新たな芸術を生み出した。

 かつては尾形光琳・乾山とその作風を継承した酒井抱一らを一つのグループと
 みなし「光琳派」と呼んだり、その先駆者と考えられる俵屋宗達・本阿弥光悦
 らを含めて「宗達光琳派」と呼んでいた。現在は「琳派」という呼称が一般的
 である。
 
 背景に金銀箔を用いたり、大胆な構図、型紙のパターンを用いた繰り返し、
 たらしこみの技法などに特色が見られる。題材は花木・草花多いが、物語絵を
 中心とする人物画や鳥獣、山水、風月に若干の仏画を扱った作品もある。

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