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2012年10月 4日 (木)

ソーシャルメディアと言葉

斎藤環さんの『被災した時間』-3.11が問いかけているもの

を読みながら ふと考えると あの震災の時、それは今も
まだ現在進行形なのだけど 少し離れたところで暮らしていると
だんだん忘れてしまいそうになる自分がいて

あの震災以降に 言葉 について 多く語られたりしたことが
何か途方もなく彼方の議論であったように思えてしまう

一方で、多くの言葉が ソーシャルメディアを介して
彷徨っている

それらは ある思惑であったり、意図が表出されたものも
あれば そうでないもの たまたまたの科学変化を
もたらす途上にあるものもあれば そうでないものも

その言葉から生身の人間の体臭を感じたり、嗅ぎ分けたり
しながら 気づけばどんどんと その言葉にかろうじて
秘められていたであろう リアルティは失われていく

自分のためだけに 密かな言葉を産みたい

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