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2012年2月23日 (木)

多田等観のこと

先日読んだ、ペマ・ギャルポさんの本の中で

日本とチベットの歴史の紹介で 鎖国状態のチベットを訪れた日本人のことが紹介
されていましたが、その中の一人、多田等観の評伝がありました。

チベット学問僧として生きた日本人 多田等観の生涯
高本康子著

【チベットを訪れた日本人】
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1899年      寺本婉雅・能海寛 入蔵試みて失敗
1901年(明治34年)河口慧海が日本人で初めてラサ入り、『西蔵旅行記』
1901年(明治34年)探検家成田安輝がラサ入り
1904年            寺本ラサ入り
1909年      多田等観がインドでダライ・ラマ13世に謁見。
1911年(明治44年)軍人で探検家の矢島保治郎がラサ入り。矢島は後にチベットの軍事顧問。
1912年      青木文教がラサ入り、雪山獅子旗のデザインに関与した説あり
1912年      多田等観ラサ入り 1922年にラサ発。10年間の僧院生活。
1939年      野元甚蔵がチベットに滞在。
1945年      木村肥佐生ラサ入り
1945年      西川一三ラサ入り

多田等観は秋田の浄土真宗本願寺派の寺の三男として生まれます。
チベットとの関わりも、日本に来ていたチベット人の世話を京都の西本願寺で行うことに
始まったわけですが、チベットの仏教及び文化の吸収を一番大きくなされた方ではなかったかと
評伝を読みながら思いました。

それにしても当時の日本人をチベットに掻き立てるものは何だったのでしょうか。
宗教家と陸軍では思惑も違ったでしょうが、とても不思議です。

私の興味では、そのように入蔵した人々の冒険家気質のようなものがとても気になります。
そして、その意地のようなものが、今後のグローバル社会の中でも役に立つセンスとならないか
そんなことを思って関連の書籍があると読むようにしています。

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