« ポストモダン建築 | トップページ | 理想の金曜日 »

2011年8月21日 (日)

東京都写真美術館、江成常夫写真展、鬼海弘雄写真展

東京都写真美術館で開かれている2つの展示をみてきました。

江成常夫写真展~昭和史のかたち~
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1382.html

鬼海弘雄写真展「東京ポートレイト」
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1384.html

この2つの展示、対比してみると面白いと思います。

二人の写真家ともに、時代を切り取るような視点から作品に取り組まれている
ように思います。今回のテーマとしては、一方は戦争であり、一方は東京。

二つの展示場に それぞれ 人物の写真がありました。
江波氏の展示場には、ヒロシマやナガサキの被爆経験者の顔が大きく
撮影されたもの

鬼海氏の中では、今回の展示では、場外馬券売り場にいそうな男性や女性の
立像が多かったですが、同じ人物を撮影したものでも 印象がだいぶことなり
ました。

共通して感じだことは、人物写真の中で、意外とその人を感じさせるのは
髪かもしれないと思いました。しっかりとされているか、ヘアースタイルなんて
構わずに何かを訴えようとしているのかとか、どんなに服装が高いもので
つつまれていても実情はそうではなさそうとか、質素でもどこか気にしている
ふうがあるなどなど・・・レンズがとらえた髪の毛一本一本のあり様のような
ところから、ずいぶんと感じることができるのではないかと思いました。

一方、その人物写真が語るものなのですが、
鬼海氏の作品からは、人間の行きつく先 のようなイメージを持ちました。
どんなに今が華々しくても最後はこうだとか、結局人間は・・・といった
たまたまそうした作品が今回多いからで、また、馬券売り場や競艇場に
いることが悪いことでも、なんでもないし、そこに尊厳がない訳でも
なんでもないのだけど まとまった量のそうした写真からはついそのような
ことを感じました。

さて、その行きつく先の次が我々にあるのかについて、その写真はあまり
語ってくれてはいないように思いました。

逆に、江波氏の写真ですが、
行きつく先という意味では、子供のころに被爆して、将来どのような
病気が発症するか恐怖の中で生き抜いてきた方々のほうが、よほどにその
未来は暗く感じるしかなかった、そうしたなか、語り部などの活動を続けて
こられた方の人物写真をみると、すでに高齢であるにも関わらず、
行きつく先どころか、もっともっと未来を見据えるような瞳が写されていて
問いかけのようなものを与えられている気分にもなりました。

それぞれの写真家の主題が異なっているのですから、感じることの対比は
あまり意味がないし、それによって優劣が決まるものでもありません。

たまたま見比べられたことによって、これまで写真が過去や事実を切り取る、
またはそれを伝え残すためのツールのように考えていたのですが、
その余白あるいはその何分の1かに、写真を観る者に未来を託すメッセージを
表現できることを感じ、そうした気づきを得られたことが面白いと思った
理由です。

« ポストモダン建築 | トップページ | 理想の金曜日 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/123937/52526208

この記事へのトラックバック一覧です: 東京都写真美術館、江成常夫写真展、鬼海弘雄写真展:

« ポストモダン建築 | トップページ | 理想の金曜日 »

最近のトラックバック

2014年8月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ
フォト

いつか読む本