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2011年6月 6日 (月)

ジョセフ・クーデルカ「プラハ1968」

東京都写真美術館にて ジョセフ・クーデルカ「プラハ1968」展を
観ました。

■東京都写真美術館
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1353.html

これは、ジョセフ・クーデルカが1968年8月に起こったワルシャワ条約機構軍の
プラハ侵攻「チェコ事件」を撮影したものですが

ちょうど、別の展示室では 戦争と子供をテーマにした 子供の情景展も
やっていて、写真美術館が 戦争月間 というような 雰囲気でもありました。

私は 今回、はじめて ジョセフ・クーデルカを知りましたが、市民が戦車を囲む
そして市民が兵士に何かを語りかけているといった 紛争という言葉から
想像できる それらの写真をみて

「写真は未来へのメッセージになりうる」 と改めて感じました。

この様子がカメラに収められた時は、事実を伝えることだけでも危険な行為であり
このように、撮影した本人すらも自分の人生が長くあるなどと想像がつかない
そうした状況の中で、当然、写真が残ることも意識しなかったのではないか
と想像するのですが

結果的に時を経て 未来にいる私の前にあることを、とてもすごいことと
思いました。

写真には絵画のような創作の余地は多くはないと思いますが、それゆえに
シンプルに何かを伝えるというとこができる手段であると
また、そうであるならば、普段、私が撮影している写真がこれから先に
どのようなメッセージを持つのだろうかと考えました。

一方で、私たちは、そのメッセージの意味すらも、自ら社会の作り手として
変容させることもできるかもしれません。

また、チェコの市民が立ち上がったように、今、日本にいる我々が取る行動は
何であるべきか、そのようなことも考えないわけにはいきませんでした。

現在進行形で進んでいる事態と 1968年8月のプラハの出来事
これら2つの事実を前に、ただアートとして写真を受け入れるだけでも
いけないし、その一方で、アートとして受け入れるくらいの余地が
人間としてはほしい、そんなことも思いました。

人間は過去からも学ぶことができる。その介助者としてときに写真は
存在します。

ぜひ、ご覧ください。
ありのままの姿でありながら、観る者が想像する領域がしっかりと
この写真の中には残されています。

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