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2011年4月12日 (火)

原発と地震 ・・・ 東電と原子力産業と官僚機構の構図について

ACの広告の金子みすゞの詩の パロディではないが、
今年の流行語のひとつというと不謹慎だが、“東電する”という動詞にすると
何かうしろめたいことや、豊富な資金力で何か無理なことを強いるような
そうしたことを政治家や官僚とくっついて何かするような、そうしたことの
隠語になってしまうのではないか・・・ そんなことを思う。

現在の政権に高い評価をするわけではないが、こうした事態になって
長期政権が続くことで馴れ合いになりがちな部分が、緊張感があることで
情報が明るみになったりすることは、とても大切だ。

その意味で、緊張感ある二大政党制というのは いいのかもしれない。

さて、そんな中、東電や電子力行政の構図ってかわっていないのだろう
思った。

原発と地震―柏崎刈羽「震度7」の警告
新潟日報社 特別取材班

中越沖地震のときに、柏崎原子力発電所で起きた事態とその背景。
原発の設置までの経緯などをおった本書を読むと
少し配役の固有の人名を変えただけで、まったく現在の状況が変らないことに
驚いた。

本書を読むと、これまで起きてきたことが理解できるし、
残念ながら、これから起きることも想像できてしまう。

例えば、行政が東電に都合の悪い発表を行おうとすると
多額の寄付の申し出が起きるとか、政治家の金脈を掘り起こして
しまうとか・・・

この取材は、田中角栄の金脈のひとつをスクープすることになるの
だけど、いま福島でおきている発電所の事故だって、断層のことや
中越沖地震を受けての対策にたいする漏れだとか、
不必要な発言を行う学者を遠ざけていく姿勢、政治家の利害など・・・
同様のことが存在すると、誰もが想像してしまう。

電力、それは非常に高い公共性と技術力の要求、利潤を生むインフラだけに
ある種の聖域があったのかもしれないが、それを事業としたときに、同様に
社会資本であるための真摯な努力が東電にはかけていたのかもしれない。

人間は過ちを起こしても、なかなかそこから学ばない動物であることも
本書と現在進行形で起きている事件が教えてくれる。

我々がどのような道を選択するのか
ほんの数年後に同じ過ちをおかさないための勇気と行動がいま求められて
いるのではないだろうか。

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