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2011年3月 8日 (火)

菅政権と市民社会

菅政権の崩壊とかそうしたことがニュースでもよく言われている
当然のような状況かもしれないが、
いろいろ考察をしてみると面白いし、本質を見ずに形式だけで判断していたり、
実はボールが自らの手が持っていたりすることに気づくことができるだろう。

たとえば、政権の崩壊や解散、または政権交代などの議論の中に政策的な
論争はあるだろうか?

また、もし首相が変わったとして、または政権の再編がおきたとして、次の首相に
一般的な庶民、これもいろいろだが、二世・三世議員とまったくそうではない議員の
どちらが次期首相になる確率が高いだろうか?

また、いたずらにいえば、弁護士資格を有する人がなる確率とそうでない場合の確立

このほかにも、東大卒がそうでないか、キャリア官僚であった経験の有無、
政治塾の出身者かどうかなど・・・

そうしていろいろな選択肢を考えた時に、現在の首相が稀有な存在であることが
分かると思う

それゆえに能力がないかと言えばそうではないと思うし、
擁護ばかりはしないが、国民ひとりひとりが、本当は何を望んでいるか
また、これまで政治的にどのような利得を得てきて、これから何を守り、
その一部についてはその権利を放棄するかといったことをよく考えた方が
よいのではないかと思う


少なくとも国民の間違いは、高度経済成長のあと、バブルも経験して、
そのほかに多くの苦難を経験したのにも関わらず、市民層から力のある政治家を
あと数人選出することができなかったことだ。

それが、どこの党でも良いような経歴しかもたない、けれどもなんとなく
クリーン、なんとなくかっこよいといった出自の政治オタクしかそろえることが
出来なかったから混乱が起きてしまったのだ。

この時代、そしてこの世界情勢の中で、一国だけが、とくにすでに成長を謳歌
してしまった国が、新たな繁栄を手にすることなど到底難しいことは誰もが
知っていると思う

逆に贅沢を言わなければ、割と普通に暮らしていける世の中でもある。
もちろん、政治や官僚機構が社会資本を食いつぶす現状も限界にきているのは
事実だろう。

こうした時代には、弁のたつ政治オタクよりも、割合、市井に生きてきた普通の人の
ほうが常識的な判断をするかもしれない。

そもそも、当選回数と専門知識やその分野のセンスって関係ないわけで、
様々なことが高度化するなかで、あらためて政治が果たす役割を整理していくことも
必要のように思う。

その上で、普通に暮らす人々が、たとえば、我が子でも政治家を目指す時にその道があることが
確実な未来くらいをイメージしてみて、そのために何が必要かを考えてみると良い。

意外とその手段は多いし、市民が少しずつそうやって政治に関与することで、
新しい均衡と権力の抑制が生じるはずだ。

遠い未来を考えて、そのための手段を探ってみると、あながち今の政権も悪くはないだろうし、
多少の不安定があるほうが、逆に普通に暮らす市民にとっては、出来ることの広がりも
大きいのではないだろうか。

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