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2011年3月16日 (水)

仏教の本質 葬式をしない寺の取り組みから

先日、ヴァチカンで 東北地方太平洋沖地震の被災者への祈りが
ささげられている ニュース映像をみた

日本では 宗教的な祈りがささげられているとして それをニュースで
みることはできない

そこには一種のタブーがあって、またこれを活かして大きな護摩などを
イベント的に行うのは どちらかと言えば 新興宗教だったりして・・・

冷静に 日本人と宗教の付き合い方 を考えさせられます
一方で、この距離感を保てるのが よいという考えも持てるので
ここで議論はしません

さて、偶然ですが 阪神大震災でのボランティア経験を持つ
僧侶の方の本を読みました

秋田光彦著 葬式をしない寺 大阪・應典院の挑戦

この 應典院 は 檀家を持たずに 地域の文化拠点や市民の方の
心のケアなどを中心に行っていて

たまに通っている 高野山東京別院の阿字観ではありませんが、
お寺の役割を 伝統的な仏教界のなかから 見直そうとする動きの
ように思いました。

この 應典院 は 由緒あるお寺に付属の寺院であったり、
幼稚園の経営などもされているので、お寺の機能をNPOで運営
されても大丈夫な面はありますが、それでもやはり大きな挑戦の
ように思います。

こうしたお寺の姿を模索されだしたころに、阪神大震災があり
ボランティアとして著書が赴くなかで、菩薩行を実践しているような
僧侶との出会いが いくつもあったそうです。

震災を機に 市民参加型寺院 のコンセプトが生まれたわけでは
ないのですが、そうした出来事の中で 生きた仏教を
実践されたことが その後の活動につながっているように感じました。

それは 仏教が葬式から離れ 現世の中に活動の軸をおくことが
逆に仏教そのものを受容する機会となっている点で、
そのことが丁寧に、著者の言葉で真摯につづられており
何度読んでも 気づきを得られる一冊です。


メモ
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仏教は、大乗仏教が発見した「他者」によって、大きく変化します。
古い仏教が「自分の悟り」を目的としてきたのに対し、大乗仏教は
他者が救われることによって自己も救われるという
「自他不二」の思想を生み出した。

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仏教が説いてきたのは、葬式のノウハウではありません。
死を見据え、現在をどう生きるのかという生死決定の哲学であり、
生老病死を通していのちの尊厳に学ぶことであったはずです。

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「関係性としての仏教」を目指すならば、自らの「信」を礎に、
さまざまなかかわりを通して僧侶自らが変わる柔軟性と、
他者に寄り添う親和性を備えなくてはなりません。
仏教は癒しのハウツーではありません。自分にとっての
社会、他社との関係性とどのように向き合い、どう切り結ぶか、
そこから呻きながら絞りだされる気づきこそ、私は
「僧侶として生きる道」ではないか と思います。

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