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2010年11月 7日 (日)

阿字観 3回目

なんとか 続いている 阿字観ですが、
きょうは 風邪気味だったせいか、瞑想に集中できず

それでも体のことを忘れて 映画のスクリーンをみている
ような雰囲気になったのですが

そこには なぜか 郷里の学校の通学路風景が
出てきてしまって

あの パーマ屋さん まだ あるかな・・・ とか
考えてしまいました

たぶん 前日に 子供の小学校のことを いろいろと
話していて その学校までの距離とか 通り道など
が話題にあって

その時 自分が 6年間 また 中学の3年間
これが田舎で それなりな距離があったのですが
自分ができたことは 息子もできる
自分を信じることが 息子を信じることになる
のかなあ などと その時に 思いました

本当は 月を描くとか しなくちゃいけないときに
ただ とても 不思議な経験でした

さて、その後の法話では
よもやま話が続きながら、やはり最後に
これは自分に向けられているのではと思う
言葉がありました。

●組織の肩書などで下駄をはいたって
  失う時がくる、なくなってから右往左往しないように
  本当の自分を知ること
●何をわかったかではなくて、何を悟ったかが重要。
  悟ることだって、一生に何度でもくる。
●今、納得できるように生きる。
●表で目立つばかりでは浅くなる。裏でしっかりと
 働くことのほうが面白い。自分の仕事をしっかりする。
 他人に認められるかどうかはどうでもよい。
●いろいろな障害を乗り越え、自分の仕事が実現
 できたなら、場所を移してもよい。

お坊さんが言われたことのメモのメモ程度なので
それそのものの再現ではないので 参考にはならないかも
しれませんが、仕事とかで悩む小生には考えさせられた
説法でした。

また、説法のなかで 仏教は 師匠と弟子、信者など
1対1の関係で 問答の繰り返し といったことを
話されていたのですが、

大勢の方がいらっしゃる説法の中で
その一部に いまの自分が求めているであろうものを
みつける いろいろな方が そのようにして何かしらの
言葉を受け止めているのであろうことを想像しました。

また、そのように素直な受け止めができるのも
阿字観を指導してくださっている僧侶自らが
そのように ご自身の仕事を長く継続されている
姿ゆえにのことでしょう。

貴重な機会に感謝しながら、この場に甘えるだけで
なくて、自らの解決を学んでいこうと思いました。

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