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2010年10月12日 (火)

高野山東京別院の阿字観に参加して思ったこと

いろいろなことがあり、以前から興味を持っていた
高野山東京別院の阿字観実修会に行って来ました。

■高野山東京別院
http://www.koyasan.or.jp/soshiki/tokyo-betsuin/index.html

初参加の人用の説明会が先にあり、その後、本堂にて
阿字観をするですが、詳しくはほかの方のブログなどに
詳しくレポートされているので そちらに譲り感想を
ご報告です。

はじめて指導いただく僧侶の方と目があったときに
私の心持について、すべてをおわかりになっているような
感覚を持ちました

ちょっと遅れ気味で、あわてていた気恥ずかしさも
あるかもしれませんが、阿字観を導いてくださるときの
お話やその後の法話などからも まんざらその感覚は
嘘ではないのではないかと思いました。

法話の中では、知ってる方のお父様で仏教学者として
高名な方がいらしたのですが、その方の名前が
出てきたりと、仏教を深く探求されている方のようにも
見受けましたし、一方で人々を救済するそうした想いを
心がけていらっしゃる方と感じました。

瞑想して、普段にないクリアな時を体感するのも、
人々の心の悩みと向き合う僧侶の姿も、それらが
この世にあるという覚知が、日々の営みの中では
重要な救いになってくれるのではないでしょうか。

お寺に行って心を整える、これまでお参りしてそれを
求めていたことはありますが、ちょっと踏み込んで
みると、また収穫はあるものです。

阿字観の後、ゆっくり品川駅まで歩いてきたのですが、
このように心を整える場所として、その小さな単位として
家庭があるのではないかと思いました。

家庭そのものが苦しみの場所となる方もいらっしゃる
でしょうが、それであっても やはり 一番身近な家族の
存在はそのようにあってくれたらと思います。

一方で、個人がまさしく個人として社会との設定を
持つ時代では、家庭の役割を社会に求めるケースも
多いようです。

ですが、荒れた心を社会で、例えば会社などで
癒し整理しようとすると、それは逆に他の方の迷惑を
産むはずで、家族であるからそれを吸収し、互いに
良き方向にもっていくことが出来易いのですが、
それを社会でとなると やはり無理がでてくるように
思います。

もちろん、大きな家族としての社会があるわけですが、
このように書いていて、家庭そのものの役割が
明確に言い切れないことのほうが、危うい現代を
象徴しているように感じます。

家族や家庭をどのように構成するかは自由であっても
その役割は自由に決められない そこに人間の摂理
があるとも言えます。

さあ、いかがでしょうか。

さて、この阿字観ですが、月に2回なので 忙しくない
時には、ちょっとお邪魔してみようと思いました。

そして 私を含め、家族の心の平静に役立てたらと
考えています。

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