« ひな人形の選び方 | トップページ | 木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン展ほか、写美にて »

2010年1月23日 (土)

靖国の文化的周辺

A級戦犯合祀について語られてしまうことが多い靖国神社ですが、
坪内祐三さんの『靖国』を読むと、いろいろな角度から靖国神社
をとらえることができるなあ と思いました。

東京育ちでない僕にとっての靖国は、
仏間に飾られていた神社の写真のイメージしかなかった
のですが、山の手と下町の分岐点であったり、サーカスが開か
れるような祝祭空間として機能していたり

はたまた 最初は上野が招魂社の候補地にもあがっていた
そうで・・・ などなどと これまでと違った靖国神社の印象を
持ちました。

また、九段会館の向かいにたっていたという
「野々宮アパート」という建物があったそうなのですが
これもおもしろいものだったようです。

ちなみに、坪内氏が靖国に興味をもったきっかけは
「招魂斎庭」が駐車場に変わったということを示す看板を
目にしたからといったことが書かれていましたが、

歴史や時代の記号をみつけ、多くの書にあたりながら
その姿を再現していく 著者の力はすごいなあと
思いました。

■本書より

靖国神社といえば、現在、その宗教的な側面のみが語られ
がちである。(中略)
私が明治期の靖国神社に心引かれるのは、信仰の場で
ありながら、閉じた感じはなく、とても開かれた感じがする
からである。
それも一つには、大村益次郎の銅像を囲む、この広場の
存在にあるのだ。けれど、九段坂を登り切った場所に、
大正十年六月、「空をつくような大鳥居」が建てられた時、
この空間は封印され、単なる靖国神社の境内となり、
このころを境に靖国神社空間の持つ意味は、年を追うごとに、
一義的なものに集約されて行く。

---------------------------------------------

九段坂は、東京の下町と山の手を分断する、まさに
その境となる場所だった。明治維新の敗者(江戸っ子)たちは、
坂の下の「下町」に封じ込められ、勝者(成り上り者)たちは
坂の上の「山の手」のお屋敷街に立派な邸宅を構えて住む。
その二つの世界が交差する場所に九段坂は位置していた。



« ひな人形の選び方 | トップページ | 木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン展ほか、写美にて »

★★★―大切にしていきたい本」カテゴリの記事

今日出会った言葉」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

都市伝説」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« ひな人形の選び方 | トップページ | 木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン展ほか、写美にて »

最近のトラックバック

2014年8月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ
フォト

いつか読む本