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2009年4月

消しゴムを手にしたとして・・・NPOとファンドレイジング

いま 何でも消せる消しゴムを手にしているとして
何でもいやなことを消せると考えたときに

この人は苦手、いやだ・・・といった考え方では
なくて、

何か社会の困りごととか、悲しいできごととかを
みつけて、そして一生懸命、手を動かしてその暗闇を
消していく

ファンドレイジングについての本を読みながら
もし、そんな消しゴムのように、いくらかのお小遣いを
使うことができたならと思いました

もちろんそれには、いろいろな前提や条件が必要に
なるとは思うのですが、

いま手にしているお金を、そして自分自身の生き方を
いかに活かすかと考えてみると ひとつ考えてみても
良いテーマではないかと思います。

さて、そのファンドレイジングですが、普通の人も
あらゆる関わりを持ちそうなもののように感じます


ファンドレイジングが社会を変える 鵜尾 雅隆 著

■本書より

「10年後には経団連加盟企業の部長以上で、
NPOの理事にもなっていないような人は、
「社会貢献意欲の少ない人」か「人的ネットワーク
の極端に少ない人」というレッテルが貼られる
くらいの社会になる可能性だってあるように
思います。」

「ファンドレイジングの7つのステップと15の技」

・個人寄付者の寄付動機あいうえお
 愛、粋、内輪、縁、恩返し・おもしろさ

・コミュニケーションのフレームワーク(ACTION)
 Attention
 Change
 Trust
 Imagination
 OnlyOne
 Network

・誠意と善意のコミュニケーションをメカニズム化する


などなど おもしろ内容なのですが、読んでみると、
経済活動もNPO活動も みんな同じツナガリがあるのでは
ないかと感じました。

いままでは、言葉は悪いですが、できる人は実業へ
ちょっと人付き合いがいやな人がボランティアの世界へ
といった偏見というか構図があったかもしれませんが
これからは、その垣根がなくなり、ある種 なんでもありの
世界になっていくのでしょう。

その中で、世界を創造していく方法としてなにを選択するか
であり、自分自身の人生へのポートフォリオ構築が欠かせなく
なってくるのかもしれません。

逃げ道はどこにもない。そんな覚悟の元にNPOのこれからを
考えていくと面白いのではないでしょうか。

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世界経済危機 日本の罪と罰 (野口悠紀雄 著)

野口悠紀雄氏の
世界経済危機~日本の罪と罰~ を読んだ。


手にするには遅いのかもしれませんが、
サブプライムやリーマンショックのおさらいと、
何よりも日本経済の本質的な弱さが丁寧に語られていて、
良い印象を受けました。

一方で、食料自給率や農業の問題は、経済学の基本や原則
から大胆な提言をされていますが、

どことなく、そうした基本や原則と思ってある意味信じた
市場経済にほころびが見える中で、変われぬサガと言うか
大きく舵を切るための決断をするにはもの足りなさを感じ
ました。

また、エコノミストとしてそのように論じている姿と
そもそも現在の経済を形成してきた結果が、どことなく
同質のように思えました。

いずれにしても、こういう状況だからこそ、大胆な提言を
しっかりと聞き、またその後の注視も必要だと思いますが、
しっかりと大地と手を交えている人の話ももっと聞かなく
てはと思いました。

おそらく、あいがも農法をやり続けてもダボス会議には
いけるのです。通じるものはあるはずですが、
それが何かといった本質を見極める作業が、いまの私たち
には課せられているように思います。

言葉があるかどうかわかりませんが、
経済を創造する、単純なビジネスを作るといったことに
終わらずに、社会の様式を創っていく、そうしたことへの
考察が必要なのだろうと思いました。

「創造経済学」とでもいうのでしょうか・・・。

巻末にある、これからしばらくの投資についての考察では、
教育への投資、自分自身への投資が一番であろうと
説かれていました。

それはいつの時代にも・・・ではありますが、
結局、アテになるのは自分ということで、これからも
いろいろな場面で勉強ができればと思います。

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人声天語

坪内祐三さんが、文芸春秋に連載してきたコラムの
まとめられている本を読んだ


そと時々の出来事や事件から コラムを書いていくことは
とても大変なことと思う

このように活字で残っていると、それは確かに、氏が
指摘するようにワイドショーのゲストが語るコメントとは違って、

ある程度時間がたってから読んでも成立するまでの
その時には、話すほうも聞くほうも、さらには伝えてるほうも
いろいろとメッキしたり、化粧したいりしているものが
まったくなってしまって、

たとえばある事件の判決が出そうなくらい数年をおいて
それに関わり書かれたコラムを読んでみると
その文章の本当の価値がわかったりすように思った

さて、KYについて書かれているこの一文もいい。

「小さな空気ばかり気にする人は大きな空気を読むことができない。
 その大きな空気によって行動する人は、時にKYと言われる。
 だが世の中に真に必要なのはそういうKYな人なのだ。」

ページをめくるたびにたくさんの宝物が詰まっている。


人づてに聞いていた 五反田のグルジア料理の
お店の話がのっていたりして嬉しかった(笑)

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善光寺の御開帳

先日、長野の善光寺に行ってきました。
7年に一度の御開帳ということで、ここまで人が多いとは・・・
と疲れもしましたが、やはりそれよりも何か、参拝客の
御開帳を心待ちにされていたような強い熱気が感じられて、
とてもいい雰囲気でした。

善光寺
http://www.zenkoji.jp/

そんな中、僕自身が参拝してみて考えたことの中に、
「祈る」とは何だろうということなのですが、

神仏に祈るときに、人はなにか絶対善と言いましょうか、
慈悲というか 何かそうしたものに向き合っている自分を
イメージしていて、そのイメージから放たれた光を感じたり
たまたま吹いてきた風を受けた感覚などに、何か神仏からの
メッセージを受けたと解釈して、結果的に「祈った」ということに
しているのではないかと思いました。

実際に霊感などがあればまた違う見解を得られるのでしょうか
凡人の場合、何かそうしたプロセスをしてるのではないか、
すごく自己完結型でありながら、とてつもなく寺社などの装置を
必要ともする作業のように感じました。

ただし、それであっても、祈りながら自然と涙が流れるとか
何か人は身を委ねられる何かを一瞬でも体感したいように
思うのです。

さて、御開帳ですが、何も下調べしなかったのですが
現地の方にいろいろ教えていただきながら参拝したことで
混んでいて内陣参拝まではできませんでしたが、
いろいろと教えていただけて助かりました。

ぜひ、遠方からお越しになられる際は事前にサイトをみたり
ガイドブックを読むといいと思います。


ちなみに、回向柱は夜でも触れるので、そうすればいいよ
と言われながら、酒席を断れずにとうとう触ることもできません
でしたが、ご朱印をいただくことはできたので
それを大切にしていこうと思っております。

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おみくじ事始め

おみくじは 嫌いではなくて 年に1度はお参りする寺院で
ひいたりもしているのですが

同じおみくじをひいたりすると やはり 何かあるのかなあ
などと思ったりもしますし

さて、そんな おみくじの発祥が、天台宗の中興の祖と
言われている第18代座主慈恵大師・良源という
平安時代のお坊さんであることを

大野 出 著 「元三大師御籤本の研究―おみくじを読み解く」

の出版で知りました。

ちなみに、ネットでいろいろとしらべてみると
よく、ツノをはやした鬼の絵が描かれているお札が
あるかと思いますが、

あれは 魔除けの意味があり、この良源が鬼に化けて
疫病神を追い払ったものといった伝承からきているそうです。
これを角大師というようです。

ということで、いまも暮らしに息づいている風習や信仰を
起こされたお坊さんのことを始めて知ったという
お話でした。

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