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2006年7月16日 (日)

高島野十郎

三鷹市美術ギャラリーに高島野十郎展を観にいきました。新聞記事で紹介されているのを読んで、どことなく興味をもったからです。詳しくはリンク先をご覧ください。

僕は彼の作品をみて、どの作品もいまだに完成していないのではと思いました。それは、対象のあるままを描こうとして、描ききれていないと感じたからです。「悟る」ことがなければ描けぬものを、「悟り」を求めながら筆をにぎった。それ故、悟れぬうちは、完成することはない、と言えるのではないでしょうか。

ですから、一枚を書き終えて「悟った」気分になり、公案への解を見出し、また新しいキャンバスに手を染める。その繰り返しであったように想像します。

絵画である訳ですから、絵画として論じなければなりませんが、たとえば、文学上の宮沢賢治のような、そんな性格とポジションを高島野十郎に見出すことはできませんでしょうか。このために、現代の人をより惹きつけるのではないかと思います。

僕はこの作家の作品が好きになりました。もし画廊で売りに出されていたら迷わず手に入れたいと思うでしょう。(すごく人気がでて、高いみたいです・・・残念)図録を買って何度も見返すのですが、不思議と涙が出てきます。それは前述したような、絵の印象を抱き、感情を移入しているからにほかなりませんが、それが描いた本人に迷惑の話であっても、私はそのように思想します。

絵を描きたくなりました。終わりがないことを知りつつも。

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